トレーニングを行う者にとって、筋肉痛はきわめて身近なテーマと思われます。
また、一般人にとっても、慣れない運動の後の筋肉痛はいやなものであるらしく、運動会のシーズンなどには、頻繁にマスコミ関係から筋肉痛に関する質問を受けます。
広い意味での筋肉痛にはいろいろな種類のものがありますが、一般に「筋肉痛」と呼んでいるものは、「遅発性筋痛」といって、運動やトレーニングの翌日、あるいは2日後に遅れてやってくるものを指します。
この筋肉痛の発生メカニズムについては、これまで「筋の微細な損傷に伴う炎症反応によるもの」という定説があり、私たち研究者もこれを受け入れてきました。
ところが、最近になって、新しい説につながる研究も現れはじめています。
この新しい説は、筋肉痛にまつわる様々な疑問点を解消してくれる魅力的なものですので、その概略をご紹介したいと思います。
筋肉痛のメカニズムに関する諸説・定説
筋肉痛のメカニズムに関する古い説に、「乳酸説」があります。
これは、高強度の運動によって筋で生成された乳酸が筋肉痛の原因であるとするものです。
確かに、筋の中にある化学受容器は、乳酸や水素イオンなどのさまざまな物質を受容し、「痛み」感覚を生じさせます。
運動直後に起こる筋肉痛(筋が重く、だるく感じる)にはこれが関係している可能性はありますが、遅発性筋痛が起こる頃には、乳酸などの代謝物質は筋から完全に除去されていますので、この説はありえないということになります。
一方、下り坂を走る、重い負荷を下ろすなど、筋が伸張性収縮を繰り返すと、強い筋肉痛が起こります。
このとき、筋線維に微細な構造的損傷が見られること、筋線維内のタンパク質(筋損傷マーカー)や、炎症反応によって発現するタンパク質(炎症マーカー)が血漿中に現れることなどから、「伸張性収縮による筋線維の微細な損傷に伴う炎症反応によって筋肉痛が起こる」という説が生まれ、定説となって多くの研究者に支持されています。
定説への疑問
この定説はそれなりに説得力があり、筋肉痛に関する質問を受けたときには、これを説明するのが常でしたが、完全に納得できるというものではありませんでした。
まず、筋肉痛に関わる研究の多くが、「筋を壊す」ことを前提にしているような、過激な伸張性負荷を課していることが問題です。
私の研究室では、ラットに伸張性トレーニングを負荷するモデルを使っていますが、効果的に筋肥大を引き起こすような、通常の負荷強度では、明確な筋損傷や、著しい炎症反応の亢進は見られません。
ヒトの場合にも、筋損傷に至らないようなマイルドな運動が筋肉痛を引き起こすこともあります。
また、強い運動と無関係に、「肩こり」のような筋肉痛に類似した現象も起こります。
さらに、筋肉痛は持続的に起こるのではなく、筋を圧迫したり、動かしたりしたときにのみ起こります。
これらは、定説ではうまく説明できません。
新しい動物モデル
「筋肉痛」に関する研究が十分に進展してこなかった理由のひとつに、筋の構造分析や生化学的分析を存分に行える動物実験モデルがなかったことがあります。
動物は「痛い」と言ってくれませんので、どの程度筋肉痛が起こっているのかを知ることができません。
ところが最近、Mizumuraらのグループが、ラットの後肢筋に針で圧迫を加え、どのくらい強く圧迫したときにラットが脚を引っ込める反応を示すかで筋肉痛を数値化するモデルを用い、興味深い研究結果を続々と報告しています(Muraseら、2010、など)。
筋肉痛に関する新たな仮説
この動物モデルを用いた研究で、伸張性筋力発揮を繰り返した後に、確かに筋肉痛が起こることがわかりました。
ところが、筋肉痛を示した動物の筋を調べると、筋線維の損傷も、炎症反応も起こっていない場合が多く見られました。
その代わりに、ブラジキニン(BK)、神経成長因子(NGF)などの発現増加が見られ、特に、NGFの抗体を与えてそのはたらきをブロックすると、筋肉痛の発生が抑えられることなどもわかりました。
これらの結果に基づいて、Mizumuraらは、次のような仮説を提唱しています:1)伸張性収縮によって筋線維からATPやアデノシンなどが漏出し、これらが血管内皮細胞からBKを分泌させる;2)BKは筋線維にはたらき、筋線維からNGFを分泌させる;3)NGFは筋内の機械刺激受容器(圧受容器)
にはたらき、その感度を上昇させる;4)その結果、通常では圧受容器を刺激しないような軽度の圧迫や筋収縮にも圧受容器が過敏に反応し、痛みが生じる。
筋肉痛はひとつではない?
この仮説は、まだ細かい点で検証の余地を残していますが、定説にまつわるさまざまな疑問点を見事に解消してくれる点で、きわめて魅力的に思います。
この仮説が正しければ、筋肉痛と筋の損傷・炎症には直接的な関係はないということになります。
一方、過激な運動による筋の損傷が、別のメカニズムで筋肉痛を引き起こす可能性もあります。
「遅発性筋痛」にもいくつかの種類があり、より細かい分類が必要となってくるかもしれません。
石井直方 東京大学大学院教授 理学博士
Kentaiニュース192号(2010年7月発行)より転載
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