突然の苦難が人生を変えてくれた・・

 





パトリシア・メネガス・バークハート
Patricia Menegaz Burkhart

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現在

1989年の感謝祭の日、私は実際に、「感謝すべきこと」がいくつかありました。この年の5月にテキサス大学薬学部を優等で卒業できたし、念願だった病院の薬剤師としての仕事に就くことができたのです。それに、間近に迫ったヒューストン・テネコ・マラソン出場に向けてのトレーニングも続けていました。

しかし、このあとまもなく、私は人生の岐路に立たされることになったのです。ある朝、目覚めた私は、軽い吐き気を感じ、ひどい疲労感におそわれました。しだいにその吐き気はがまんできないほどひどくなり、食べたものももどしてしまいました。婚約者に説得され、近くの病院へ向かいました。

自分自身、医療には詳しかったので、「電解質入りの点滴をして、水分補給をし、座薬をもらって家に帰れるだろう」くらいに考えていました。しかし、緊急救命室の看護婦に、「集中治療室で何日か治療が必要です」と告げられました。私の症状は、「若年性糖尿病」と診断されたのです。

もう、大変なショックでした。私は当時25歳で、「若年性糖尿病」は通常、20歳以下の年齢で発症するものですし、家族には誰も糖尿病の者はいません。それに、前日まではまったく元気だったのです。

インシュリン投与を初めて行ったときは、体重が12ポンド(5.4kg)増えました。ポッチャリとした体型になり、大腿はブヨブヨした感じにさえなってきました。でも、インシュリン投与をしているときに高強度のエアロビック・トレーニングを行うと、低血糖状態になってしまうので、ランニングもおあずけとなりました。

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トレーニングを始める前
ファースト・フードに別れを告げる
でも、ここで私は、パーソナル・トレーナーであり、ボディビルダーでもあるグレッグ・デイビスに指導を求め、ボディビルを始めたのです。食事は魚、鶏肉、複合炭水化物、野菜中心に変え、ファースト・フードに縁を切りました。グレッグが私のために考案したウエイト・トレーニングのプログラムには、体脂肪をつけないように、軽いエアロビック・トレーニングも含まれていました。週4回、血糖値を注意深くチェックしながら、ステア・クライマーやステーショナリー・バイクのエクササイズを20〜25分行うというものです。こうして4年間トレーニングを続けていくうちに、筋肉が驚くほどについてきて、低血糖に悩まされることもなくなりました。

そして1995年4月、私は初めてボディビル・コンテストに出場しました。テキサス州フォートワースで開かれた大会です。まったくの素人であった私はプレジャッジの直前までダイエット・ソーダ(低カロリーの炭酸飲料)を飲んでいました。タンニング・クリームも上手に使えず、全身をテカテカに光らせてしまいました。それでも4位に入賞し、この失敗はよい勉強となりました。

この入賞経験ですっかりその気になった私は、それからもコンテスト出場を続け、4つのコンテストで優勝しました。1995年NANBFナチュラル・アメリカ・ウエスト、1995年ローン・スター・クラシック、1995年ジョン・シャーマン、そして一番最近が1997年4月のオレンジ郡クラシックでの優勝です。オレンジ郡クラシックでは、女子オープン・クラスのミドル級で優勝しました。

最初のコンテスト出場以来、私が成績を向上させていくことができたのは、ハル・ルイスのおかげでした。体重200ポンド(90.7kg)、元大学野球選手の彼が、ステージでの歩き方やポージングを指導してくれたのです。初出場のときの私のポージングは彼いわく、「見るにたえないものだった」のです。ハルは女性のボディビルダーを専門に指導していて、たくさんの選手を優勝させています。コンテストに備えて体のカットをつくり上げ、しかも糖尿病の症状もコントロールできるダイエット・プログラムを考案するのは簡単なことではありません。ハルはこれを実行してくれたのです。

正直にいうと、こうしたトレーニングとダイエットのプログラムを実践していくのは決してたやすいことではありませんでした。私はオフシーズンには1日2時間半、週に4回のトレーニングをジムで行っていますが、これがコンテスト前の準備期間になると週に6回となります。タンニングやポージングの練習、ダイエット・プログラムのための食品の買い出しや調理にかかる時間はこれには含まれていません。

コンテストに備えてダイエットを行っているときのボディビルダーは、決してつき合いやすい人間とはいえません。私は厳しい自己管理を徹底して行い、そのために4年間の結婚生活を犠牲にすることになりました。夫は私がトレーニングに時間を費やすことに理解を示さず、結局、私たちは別れることになったのです。

私にとっては、これは大きな痛手となりましたが、逆に内面的な成長を与えられる機会ともなりました。今ではトレーニングは私の一部であり、これによって私は、自分の健康状態を自分で管理しているという実感が味わえるのです。これこそ、私がボディビルというスポーツに夢中になった一番の理由です。

精神力で克服する
私は病院で薬剤師として働いていますが、患者や地域の人々と接するときに、ハードなトレーニングやダイエット、コンテスト出場などで得た知識を役立てています。2年前に、パーソナル・トレーナーの資格も取りました。病院での仕事を終えたあと、ヒューストンの2つのジムでトレーナーとして楽しく仕事をしています。

私はウエイト・トレーニングを始めたおかげで健康な体を取り戻すことができました。でも、トレーニングをとおして私が得た最も大切なことは、自尊心が高められたということです。何年もの間、私はジムの壁にはられたグレッグ・デイビスやその他の素晴らしい体をしたボディビルダーたちの写真を眺めてきました。そして、自分は絶対にそんな体にはなれないと思っていました。でも現在では、私の写真がこうした人たちの写真といっしょにジムの壁に貼ってあるのです。まさにこの写真が、目標を立て、それを現実のものにしたという証拠なのです。

心のもち方しだいで現実を変えていけると、私は固く信じています。ボディビルによって、私は否定的な考えから、プラスの考え方をする人間に変わりました。私のこの経験が、他の人にも、目標を決めて、それに向かって進み出すきっかけになることを願っています。


今ではトレーニングは私の一部であり、これによって糖尿病を自分でコントロールしているという実感が味わえるのです。これこそ、私がボディビルというスポーツに夢中になった一番の理由です。

2013 xfit—体づくり、フィットネスのためのトレーニング・栄養情報より転載

 

 

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